大阪地方裁判所 平成3年(ワ)5011号 判決 1994年2月21日
原告
國枝陽子
ほか五名
被告
髙津健造
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
第一原告らの請求
被告は、原告國枝浩子(以下「原告浩子」という)に対し、金三七七〇万二二六六円、原告國枝文子(以下「原告文子」という。)、原告國枝秀稔(以下「原告秀稔」という。)、原告國枝陽子(以下「原告陽子」という。)、原告國枝澄子(以下「原告澄子」という。)及び原告國枝和志(以下「原告和志」という。)に対し、各金七五四万〇四五三円並びにこれらに対する昭和六三年一二月二五日から支払済みに至まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故(以下「本件事故」という。)の発生
(一) 日時 昭和六三年一二月二四日午後四時一〇分ころ
(二) 場所 大阪府堺市新家町七二二番地先府道三一〇号線(以下「本件道路」という。)上
(三) 加害車両 普通乗用自動車(泉五九は九九〇二号、以下「被告車」という。)
右運転者 被告
(四) 被害車両 普通貨物自動車(泉四五た八九四八号、以下「原告車」という。)
右運転者 亡國枝現太朗(以下「現太朗」という。)
(五) 事故態様 本件道路を南方から北方へ向けて走行していた原告車が対面の赤信号に従つて停止したところ、後続する被告車が原告車の後部に追突した。
2 責任原因
被告は、原告車に後続して被告車を運転していたのであるから、原告車の動静を注視しつつ運転する注意義務があるのにもかかわらず、居眠り運転をするなどしてこれを怠り、本件事故を発生させた。
よつて、被告は、民法七〇九条により、原告らに生じた損害を賠償する義務がある。
3 本件事故により生じた現太朗の損害
(一) 現太朗の受傷内容及び治療経過
現太朗は、本件事故により、頸部挫傷及び外傷性頸部症候群の傷害(以下「本件傷害」という。)を受け、次のとおり治療を受けた。
(1) 東住吉森本病院
昭和六三年一二月三〇日から平成元年一月二七日まで通院(二九日間、通院実日数一四日)
(2) 金子外科
平成元年一月二七日及び同月二八日通院
平成元年一月三〇日から同年四月三〇日まで入院(九一日間)
平成元年五月一日から同月二一日まで通院(二一日間、通院日数一七日)
(3) 大阪市立大学附属病院(以下「市大病院」という。)平成元年二月二二日から同年五月一七日まで通院(八五日間、通院実日数七日)
(二) 現太朗の自殺と本件事故との相当因果関係
現太朗は、本件事故により、本件傷害を負い、入通院を余儀なくされたが、食欲不振、不眠及び頸部痛の症状は、一進一退を繰り返すだけで回復しなかつた。そのため、現太朗は、今後一生仕事に就くことができないのではないかという不安を抱き、五人の子供と妻の生活扶養のことを心配するようになつた。
平成元年五月一二日ころから現太朗の病状が悪化し、頸部痛、激しい頭痛、全身倦怠感、両足のしびれなどを強く訴えるようになり、食事も取れず、不眠状態になつた。更に、現太朗が仕事に就けないため、現太朗及び原告らは貯金を切り崩して生活していたが、その蓄えも底をつきはじめたことから、現太朗は、仕事に就けない自己の病状に関して、焦躁感及び絶望感を強めていき、うつ状態に陥つた。そして、平成元年五月二二日未明、現太朗は、自宅風呂場において、劇薬を服用し、更に手首三か所を切り自殺を図ろうとしたが、未遂に終わり、緑風会病院に入院した。しかし、同病院でも現太朗のうつ状態は変わらず、同月二四日午前零時、同病院を抜け出し、現太朗の仕事場であつた大阪市東住吉区針中野の貸しガレージ内で、ナイロンテントに多量のシンナーを流し込み、右テントで全身をくるみ、多量のシンナーを吸引し、その中毒により、同日午前四時ころ自殺するに至つた。
(三) 損害額
(1) 治療費 一九万三七一一円
(2) 入院雑費 一〇万九二〇〇円
現太朗は、前記のとおり、九一日間入院し、その間入院雑費として一日当たり一二〇〇円を要した。
(3) 休業損害 二二八万円
現太朗は、本件事故当時、バルキー工業に勤務し月額四五万六〇〇〇円の給料を受けていたが、本件事故による受傷のため、本件事故日の翌日である昭和六三年一二月二五日から現太朗死亡の前日である平成元年五月二三日まで一五〇日間稼働することができなかつたので、右期間中の休業損害は次の算式のとおり、二二八万円となる。
(算式)45万6000円÷30日×150日=228万円
(4) 逸失利益 四二〇六万一六二二円
現太朗は、死亡当時五二歳の男子であり、本件事故により死亡しなければ六七歳まで一五年間就労することが可能であつた。また、現太朗は、本件事故当時バルキー工業に勤務し、月額四五万六〇〇〇円の給料を受けていたが、同人は、原告らを扶養していたので生活費として給料の三〇%を控除し、それを基礎にホフマン式計算法により、年五分の割合による中間利息を控除して、同人の逸失利益の同人死亡時の現価を計算すると、次のとおり四二〇六万一六二二円となる。
(算式)45万6000円×12カ月×(1-0.3)×10.981=4206万1622円
(5) 入通院慰謝料 一〇〇万円
(6) 死亡慰謝料 二四〇〇万円
(7) 以上、損害額合計は六九六四万四五三三円となる。
4 相続
現太朗死亡当時、原告浩子は現太朗の妻であり、同文子、同秀稔、同陽子、同澄子及び同和志はそれぞれ現太朗の子であつた。
したがつて、原告らは、次のとおり、それぞれ法定相続分に従い、現太朗の有した損害賠償請求権を相続した。
(一) 原告浩子 三四八二万二二六六円
(二) 同文子、同秀稔、同陽子、同澄子、同和志、 各六九六万四四五三円
5 弁護士費用
弁護士費用として、総額で六九六万円を要し、その費用負担の内訳は、原告浩子が三四八万円、同文子、同秀稔、同陽子、同澄子、同和志が各六九万六〇〇〇円となる。
6 よつて、原告らは、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、自賠責保険から弁済を受けた一二〇万円を法定相続分に従い分割充当した(原告浩子六〇万円、同文子、同秀稔、同陽子、同澄子、同和志各一二万円)後の残額三七七〇万二二六六円(原告浩子)、各七五四万〇四五三円(原告文子、同秀稔、同陽子、同澄子、同和志)及びこれらに対する本件事故の日の翌日である昭和六三年一二月二五日から支払済みに至まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(事故の発生)の事実は、認める。
2 同2(責任原因)の事実中、居眠り運転をしていたことは否認し、その余の事実は、認める。
3 同3(現太朗に生じた損害)の事実は、争う。
現太朗の受傷及び自殺と本件事故との間に相当因果関係はない。
4 同4(相続)の事実は、不知。
5 同5(弁護士費用)の事実は、不知。
三 抗弁
1 示談の成立
現太朗と被告は、昭和六三年一二月二七日、本件事故の解決として、現太朗が被告に車両の修理代として五万円、車両を二日間使用できないことによる補償として八万円、合計一三万円の支払をし、現太朗は被告に対しその余の請求をしないという合意をした。
2 損害の填補
原告らは自賠責保険から一二〇万円の弁済を受け、それを法定相続分に従い分割充当した(原告浩子六〇万円、同文子、同秀稔、同陽子、同澄子及び同和志各一二万円。)
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1(示談の成立)の事実は、否認ないし不知。
2 抗弁2(損害の填補)の事実は、認める。
理由
一 事故の発生(請求原因1の事実)
請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。
二 被告の責任の有無(請求原因2の事実)
1 請求原因2の事実は、被告が居眠り運転をしていたということを除いて、当事者間に争いがない。
2 右争いのない事実及び証拠(甲二、乙三の三ないし七及び一四、被告本人)によれば、次の事実が認められる。
被告は、時速約一五ないし二〇キロメートルで原告車に続いて被告車を走行させていたが、本件事故直前に一瞬居眠りをし、前方の注視を怠つたため、原告車の後方約三・一メートルに至り、対面赤信号に従つてサイドフレーキを引いて停止している原告車に気付き、急制動の措置を講じたが間に合わず、被告車前部を原告車後部に追突させ、その衝撃により原告車は約四〇センチメートル前進して停止した(なお本件事故時、現太朗はシートベルトを着用していた。)。同事故による被告車の損傷の程度は、そのフロントバンパーが全体的にわずかに引つ込み、フロントバンパーの左角から四八センチメートルの所に軽微な擦過痕が残つたというものであり、原告車のそれは、リヤーバンパーが最大約五センチメートル凹損したが、リヤドアーの開閉には異常はなかつたというものであつた(なお、双方車両とも、本件事故後四五日経過した、本件事故に関する実況見分がなされた時点でも、修理はなされていない。)。
右認定に反して、原告浩子は、本件事故の衝撃の程度に関し、現太朗は生前、被告車の追突により原告車は二車長分程前へ突き飛ばされたということを述べていた旨供述するが、右供述は、本件事故直前の原告車とその前方の車両との間隔が二車長分もなかつた〔本件事故当時、本件道路は渋滞しており、同道路を走行していた車両はその前方の車両に従つて発進、停止を繰り返していたこと(乙三の六、被告本人)からして、停止時に、原告車とその先行車両との間に二車長分もの間隔が生ずることは通例ないものと考えられる。〕にもかかわらず、本件事故の衝撃によつても原告車がその先行車両に衝突(いわゆる玉突き衝突)しておらず、本件事故後、原告車とその先行車両との間には人が通れる程のスペースがあつたこと(被告本人)に照らすと、にわかに信用することができない。
3 よつて、被告は、民法七〇九条により、本件事故により生じた損害を賠償する義務がある。
三 本件事故により生じた現太朗の損害(請求原因3)
1 現太朗の受傷、治療経過、症状の変化、自殺等
証拠(甲一、三、五、七、一〇、一二ないし一四、乙一、二の一ないし三、三の六ないし八、同一〇、一一及び一三、四、五、金子証人、原告浩子本人、被告本人、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。
(一)(1) 本件事故当日、現太朗と原告車の助手席に同乗していた今塩屋一則(以下「今塩屋」という。)は、いずれも身体の痛みや異常を感じなかつたので、車で三〇分位の所にある被告の勤務先まで行き、被告車が原告車に追突した旨の証明書を被告に書かせ、原告車の損傷につき、後日被告が、賠償することとし、警察への人身事故の届出はしないこととした(その後、現太朗が、身体の異常を訴え始めたので、平成元年二月一日、警察へ人身事故の届出がなされた。なお、今塩屋が、その後、身体の痛みや異常を訴えたことを認めるに足る証拠はない。)。
(2) 本件事故の翌々日の昭和六三年一二月二六日、今塩屋から被告に電話で、原告車の修理代金五万円と修理期間二日間の二人の日当分として八万円、計一三万円の請求があり、翌二七日、被告が現太朗に一三万円を支払い、現太朗は、右一三万円の受領でもつて本件は解決した旨の書面を書いた。
(3) 同日の夕方から、現太朗は、身体の異常を訴え始めた。訴えの内容は、首が動かせず、食欲がなく、嘔吐感があり、金属音の耳鳴りがして、脈拍もかなり早く、全身に倦怠感があるというものであつた。現太朗は、その後、仕事を休み、同月二九日まで家で寝て過ごした。
しかし、三日経過しても一向に症状が改善しないので、現太朗は、同月三〇日、東住吉森本病院で受診し、同月二四日に子供の膝で頸部を打撲したため頸部に鈍重感があり〔なお、甲第五号証には、現太朗が同月三〇日、頸部痛を訴えたという記載があるが、東住吉森本病院における現太朗のカルテ(乙一)の昭和六三年一二月三〇日の欄には、「頸重い」と記載されていることに照らし、甲第五号証の右記載は頸部に鈍重感があつたとの趣旨と解するのが相当である。〕、さらに食欲低下、全身倦怠感、不眠の症状もあると訴え、同月三〇日から平成元年一月二七日まで二九日間通院した(実通院日数一四日)が、初診時の頸部X線写真による検査では特に異常は認められなかつたため、頸部打撲症及び感冒との診断を受け、感冒薬、抗生物質の投与を受けるなどの内科的治療を受けた。その後も、現太朗は、食欲不振、動悸、不眠などの症状を訴え、血圧も上昇(一七〇/一〇〇)したりしていたので、その都度、点滴、睡眠薬及び降圧剤の投与を受けるなどの内科的治療を受けたが、同月二六日に至まで頸部痛等を訴えることはなかつた。
同日、現太朗は、同病院の医師に対し、本件事故が原因で頸部に鈍重感があると訴え、鞭打ち症であるとの診断書が欲しいと述べた(乙一の一〇頁)が「頸運動異常なし」「圧痛なし」「脳神経障害なし」「運動麻痺なし」「深部腱反射、右=左」「視力障害なし」「頸椎X線写真異常なし」「頭部CT異常なし」「頸捻挫の可能性はあると思うが、断定的なことは言えない」(乙一の平成元年一月二六日の欄)及び「肝硬変 疑」(乙一の超音波検査成績表)との診断を受けた。
なお、原告らは、現太朗が東住吉森本病院での初診時、子供の膝で頸部を打撲したと説明したのは、交通事故による傷害で受診した場合、健康保険の適用がないものと誤解しており、かつ、治療が長引くものとは思つていなかつたので、自分で治療費を負担しようと考え、虚偽の申告をしたと主張し、原告浩子もその旨供述するが、初診後約一か月経過しても、本人事故のことを東住吉森本病院に説明していないことに照らすと、原告らの右主張は採用することができない。むしろ、現太朗は、当初は右症状は本件事故のせいではないと考えていたところ、東住吉森本病院における同人の患者仲間から症状は鞭打ち症によるものだと聞かされ(原告浩子供述三一丁表)、それにより、自己の症状が鞭打ち症によるものであると思い至り、医師にその旨を訴え始めたものであつたと推認される。
(4) 現太朗は、同月二七日、金子外科へ転院し、後頭部痛、頸部痛、頭重感、食欲低下、発熱、不眠を訴え、同日、翌二八日と二日間通院し、同月三〇日から同年四月三〇日まで九一日間入院し、同年五月一日から同月二一日まで二一日間通院した(実通院日数一七日)。初診の頸椎レントゲン写真による検査では、頸椎の四番目と五番目の骨の間が少しずれており、頸椎の五番目と六番目の骨の骨性が変化していることが認められた。このようなレントゲン写真による所見は年齢が原因となつていることも多いので、金子医師は初診時に、主に現太朗の症状に関する訴えから、病名を頸部捻挫・外傷性頸部症候群、加療見込み期間を約一か月と診断した。なお、現太朗は以前、慢性肝炎のために、金子外科に通院したことがあるので、今回の受診時にも血液検査を行つたところ、肝硬変に近い慢性肝炎であるとの診断が下されている(金子証言によると慢性肝炎からも体がだるい等の愁訴が現れうる。)。
現太朗は、疲れ易い、耳鳴りがする、頸部が重い・痛い、動けない、吐き気がする、眠れない、食欲がないというように愁訴が非常に多く、また現太朗本人の「しんどいから休ませてくれ」という希望もあつたので、平成元年一月三〇日、入院の措置が取られた。その後、慢性肝炎に対する治療としては、ビタミン剤・肝庇護剤の点滴を主として行い、頸部捻挫・外傷性頸部症候群に対する治療としては、介達牽引(理学療法)・痛み止めの薬の投与・頸部に対する湿布を主として行つていたが、検査をしても特に異常は発見されなかつた。しかし、愁訴があまりにも多いので、精密検査の必要性及び医師と現太朗との間の信頼関係醸成という観点から、市大病院に検査が依頼された(金子証言一六丁表、三〇丁裏)。
(5) 同年二月二二日、現太朗は市大病院を受診した。現太朗の主訴としては後頭部痛があつたが、頸椎レントゲン写真による検査では、頸椎の四番目と五番目の骨の間が少しずれていることが認められ、さらに、他覚的所見としてライトテスト(手を挙げた時、首の動脈の脈拍が触れるか否かの検査)左側陽性があつたため、外傷性頸部症候群の他、外傷後胸郭出口症候群(筋肉が硬直して、胸郭からの出口のところの神経や血管を圧迫するという症状)と診断された。その後、金子外科では、市大病院の指示に従つて、筋弛緩剤と精神安定剤等の投与を行い、保存的治療を行つた。
その後、現太朗は経過観察として市大病院を以下の日に受診し、以下のとおり診断等がなされた(右二月二二日の受診と合わせて、通院期間八五日間、通院実日数七日)。
同年三月二五日、神経学的には異常なし。
同月二九日、ライトテスト両側陰性、精神的にかなり不安定。
〔なお、同日付けの、金子外科に対する回答書(乙二の一)には、「神経学的には明らかな憎悪は認められず、むしろ軽快しているように考えられる。精神的に不安定な状態が最も問題である。今後、貴院退院の後、当院外来にて経過観察させていただきたい。」旨が記載されている。〕
同年四月一二日、カルテに特に悪い症状に関する記載はなく、同日付けの金子外科に対する回答書(乙二の一)には、最近、症状が軽快している旨の記載がある。
同月二六日、カルテに自覚症状として、かなり軽快してきている、頭痛が少し出るとの記載がある。
(6) 金子外科に入院中の現太朗の愁訴に関して、看護記録には、入院日の同年一月三〇日から同年二月二四日までは、概ね頭重感等の記載があり、同年二五日から同月二八日までは、「特変なし」との記載があり、同年三月一日から同月二九日までは、再び概ね頭重感等の記載があり、その間の同月二二日の欄には、今までで、一番しんどいという記載があり、同月三〇日から同年四月五日までは、軽度の頭痛の記載があり、同月六日及び七日の欄には、食欲(+)の記載があり、同月七日から同月一六日までの欄には、特に訴えなしとの記載があり、同月一七日の欄には、頭重感等の記載があり、同月一八日から同月二二日までの欄には、気分不良感(+)の記載があり、同月二四日の欄には、気分不良緩和してきた、特に訴えなしとの記載があり、同月二五日から同月三〇日までの欄には、「特変なし」との記載がある。
なお、金子医師は、現太朗の入院期間が初診時の加療見込み期間と比べてあまりにも長期化していたので、現太朗をできるだけ早く退院させるべきであると判断し、また現太朗に本件事故のことを忘れさせるよう指導していた。
金子医師は、同月四月になると、現太朗の症状は、これ以上治療しても良くはならず、精神状態も安定していると判断し、同人の自覚を促すという点も考慮し、同月三〇日、同人を退院させた。
その際、現太朗は、金子医師に症状は良くなつていると言われたので、納得して退院したが、退院後、他人から鞭打ち症は一生治らないと言われたので、悩んでいた。
(7) 退院後、同年五月一二日までは、現太朗の体調は良かつた(甲一四)が、同月一二日以降、食欲不振、疲労感、全身の不安定感、頭痛等を訴えた。
現太朗は、同月五月一日、二日、六日及び八日ないし二一日に金子外科へ通院し、点滴治療を受けたが、カルテの同月一九日の欄には、「全身不安定?、頭痛」との記載がある。また、現太朗は、同年五月一〇日、一七日と市大病院へ通院したが、カルテには、それぞれ「自覚症状として、腰痛なし、両下肢のシビレあり」「自覚症状として、五月一二日から吐き気あり、頭痛あり」との記載がある。
(8) 現太朗は、同月二二日未明、自宅風呂場において、手首三か所を切り自殺を図ろうとして、未遂に終わり、緑風会病院に入院したが、同月二四日午前零時、同病院を抜け出し、現太朗の仕事場であつた大阪市東住吉区針中野の貸しガレージ内で、ナイロンテントに多量のシンナーを流し込み、右テントで全身をつつみ、シナンーを吸引しその中毒により、同日午前四時ころ自殺した。
(9) なお、現太朗の本件事故前の既往症には、昭和五八年一一月ころの肺炎(乙一、原告浩子供述)及び昭和六三年八月ころの根性腰痛症、慢性肝炎(乙二の一及び二、原告浩子供述)がある。
(二) 当裁判所の判断
本件事故と現太朗の本件傷害との間の因果関係に関して、前記認定の事実、特に、本件事故の衝撃は軽微であつたこと(本件事故により原告車が前方に移動した距離は約四〇センチメートルに過ぎず、原告車・被告車双方の損傷も、運行する上には支障をきたさないという程度のものであつて、原告車助手席に乗つていた今塩屋も、本件事故後身体の痛みや異常を訴えることがなく、また現太朗が本件事故後最初に受診した東住吉森本病院で、現太朗自身、患者仲間から鞭打ち症のことを聞くまでは、身体の異常は本件事故のせいであるとは思い至らないほどであつた。)、現太朗は、同病院においては昭和六三年一二月三〇日の初診時から平成元年一月二六日まで本件事故のことを訴えることはなく、治療は、食欲不振に対する点滴、不眠の訴えに対する睡眠薬の投与、高血圧に対する降圧剤の投与といつた内科的治療を受けていたに過ぎないこと、初めて本件事故のことを訴えた右平成元年一月二六日においても、愁訴は頸部痛そのものではなく、頸部に鈍重感があるというものであり、同日、「頸運動異常なし」「圧痛なし」「頸捻挫の可能性はあると思うが、断定的なことは言えない」との診断を受けたことを総合考慮すると、本件事故により現太朗に本件傷害が発生したものとは認めることができない。
なお、平成元年一月二七日、金子外科における現太朗の初診時、頸椎レントゲン写真による検査では、頸椎の四番目と五番目の骨の間が少しずれており、頸椎の五番目と六番目の骨の骨性が変化していることが認められ、現太朗は頸部捻挫・外傷性頸部症候群との診断がなされているが、前記認定のとおり、金子医師は、右レントゲン写真による所見は年齢が原因とも考えられるが、現太朗の愁訴が多いという理由から右診断をなしているものであり、客観的所見に基づく診断ではないと、反対に、同時に現太朗が診断された慢性肝炎からも体がだるい等の愁訴が現れうること、また現太朗が金子外科に入院したのも、前記認定のとおり、現太朗の強い希望に基づくものであるから、入院の必要性の判定も客観的所見に基づいてなされたものではないことからして、それらは前記認定を妨げるものではない。
2 結局、本件事故により現太朗に本件傷害が発生したものとは認められないから、被告には、原告ら請求の損害を賠償する義務はない。
四 結論
以上の次第で、その余の点を判断するまでもなく、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 林泰民 大沼洋一 中島栄)